練習問題-4

氣分を換えて頼山陽書翰です。
漢文由来の言を多用するため、文脈の予測を立てづらく、地力の有無を問われます。




『頼山陽書翰集』徳富猪一郎.木崎愛吉.光吉元次郎編

本文の流れこそ分りやすいものゝ、漢詩をいかにして読めば良いのか...



三本木の新居とあれば文政五年。
「終焉の地と相定申候」、新居を大層御氣に召した様子、文面終始漢詩人といった風で素晴らしいです。
そして、大出費よほど窮乏して無心せざるを得なかったところがまた良いですね。

漢詩はそっとして置いて、読み下します。

御疎闊に存じ居り候處書を投ぜられ、新居の窓を明けて被誦し、釿然の至に候。御佳天、養老邊に藤城などゝ御同遊のよし、風流衰へず珎重の御義に候。小生、誤て一に紅に入る莝陌中、回顧す白壁耐へて歸らず、春来郊外の處々相攸(察看)候處、鴨西の冨の眺望に如かず。然るに下地の木屋町は偏仄、雅花の地無し。これに因て三本木川附にて空閑の地これ有り、家建等の費百金弱に候。一勞永逸、以後は房□たけは助り申し候。川附幅員十間餘、亭榭門苞頗る幽趣を極め候。雅梅十餘株、侘桂杏桃、雪橘櫻桃桐竹の類ひ大概品を備へ候て、蓊鬱の間より東山隠見すれば、鴨水は庭際に流れ候。木屋町の様岸高くはこれ無く、豐懶浣濯、皆此に資す。實に終焉の地と相定め申し候。雪月烟雨時に宜からざる無し、何卒御来遊待ち奉り候。藤城久々無信、傳語承知仕り候。右の趣よろしく御傳へ下さるべく候。
入城時に、家西東山常眼明、朝嵐夕翠几間揁、吾濃柏折看山福、却把琹書移入城、と□候。
此度又、満鬱新霜満面埃、城居耐得歳壽面、殊生愈享看山福、又向鴨涯移宅来。
御一咲下さるべく候。
伊丹の大樽を斎傍に安置し候。日々山紫水明の時には傾け申し候。なれども以後は何事も節儉して此大費抔を永久の詩に償ひ申すべく存じ居り申し候。藤城と仰せ合はせられ、ちとゝゝ御助力下さるべく候。草々頓首。
十一月十九日 襄
細香女史
藤城山人傳覧

猶々此歳終、別て盛に迫り候。藤城と御両人にて両圓ほど成し下され度く候。我言よりの無耻の甚だしきなれども、是迄ヶ様の事申さゞる男、よくゝゝの義と思し召され下さるべく候。呵々。

細香様
藤城山人傳覧

嘗て藤城宛の書翰を京都に見付けて、これは欲しいと思うも高直なるに逡巡して、遂に逸したことを思い出しました。

さて答を確かめます。



『頼山陽書翰集』徳富猪一郎.木崎愛吉.光吉元次郎編

   
本文
「御佳令」画像、細香女史のことでしょうか、てっきり天候のことかと。
「紅塵」画像、「塵」字は知っていなければなりませんね。
「四顧」画像、字形のみでこれを確定するのは難しいでしょう。
「耐不得」。
「相攸候」画像、始めて見ました、「攸(ところ)を相(み)候處」、「相」字は「観相」の意。

   
「種花」画像「雅」ではありませんでした、「花を種(う)うるの地」。
「一勞永逸」、勉強になります。
「房賃」画像、「賃」は「漬」に見えてしまい正解ならず。
「門巷」画像、「巷」字草冠状にて菘翁の名に見えます。
「種梅」、既出。
「蘆橘」画像、固有名詞です、不知。

  
「盥漱」画像、「豐」と同形。
「と致候」画像、「致」字不判。
「山紫水明の時には傾申候」、現代でもよく誤用されている「山紫水明」の意。皆さんはご存じでしょうか、私は解説文を読むまで正しい意を知りませんでした。
「樹永久の計」画像、恰好良いです。「樹」は「樹立」の意。


猶々
「迫蹙」画像、見たまゝでした。
「自我言之無恥之甚なれども」「我よりこれを言う恥無きの甚しきなれども」漢文調です。当時普通こういう文言を使いません。

   
漢詩
「家面」、「家西」ではありません。
「几間横」、この「横」有りですか。
「吾儂怕析」。
「把琴書」画像
「満鬂」画像、これも見たまゝでした。
「重囘」画像、この「重」字紛らわしいです。
「殘生」。
「欲享」画像、この「欲」字は基本形にもかゝわらず知りませんでした。

読めなかったところ、誤っていたところ、併せて二十二字餘、惨憺たる結果です。(22/500、誤字率4.4%)
とはいえ、年来読めなかった字が判り、また山陽先生の書翰を楽しめました、これからも読んで行きます。