油帋十日の菊にて望む人覚束無しと仰せられ.大坂にても皆右様申し居り候例に御座候.然る處大坂は賈[商人]工を覧るの薮にて.陶朱公[范蠡]の雨には雪踏[雪駄]を買ひ.晴れゝは則ち傘を買ふの説にて.直[値]をきまり候處別帋の通り廿六匁五分宛に相成り.社中の人七枚進納す.座敷へ布きつめ申し候.即ち申し上け候.もし御座なく候はゝ敞宅迄御下し申し遣はすへく候.数日を延し候へは十月の菊とも申すへく候.對州荷包こまり候様に申し越し候.御恕察遣はさるへく候.以上.
実践問題-10の鴨崖手簡につゞいて小竹翁の手簡。
油帋は油團(座せば涼しき敷物)のことにて、この話題は『頼山陽書翰』に見当ります。
油團、對馬問屋より一枚廿六包と申もの、大坂より参居候、御思召はなしや。秋吉へ遣置候。六枚ほどあり、僕も貮枚取候。<文政十二年七月六日岩崎鷗雨へ>
昨日申上候油團、秋吉へ申遣候。まだ私方に有之、六枚也。私方に可被遣は少々の處、ヶ様にたんと差越、外へ世話せよと云事、賃錢もかゝり、大迷惑に候、阿々。<文政十二年七月七日岩崎鷗雨へ>
油團の義、鳥渡小竹へ尋遣候處、數枚此方へ向、差越候。貴家よりも被仰遣候事有之よし、如別帋申来候、僕方にも二枚、取申候、殘六枚也、諸方へ勾留してくれは、迷惑なれとも無據候歟、貴家へ御取置被下度、何時にても取に可被遣候。<文政十二年七月九日秋吉雲桂へ>
行き場のない油團たち、送りつけられた山陽翁は大迷惑に思いつゝも仕方ない、と鷗雨翁や雲桂翁に相談。
これら七月の書翰の話題と、こゝに掲げた書翰とが同じ年のものか定かではないものゝ、八月二日となってもまだ油團は小竹翁の元に残っていて、雲桂翁へ入用か否かを尋ねています。
對馬問屋に泣きつかれでもしたのでしょうか。
こゝは読みが正しいか不審です。大坂の商人は~という流れでしょう。あるいは陶朱公に接続する文言がくるのだと思いますが、どうも分りません。
そのほかにも疑わしき所あるも、現状これにて精一杯です。