頼山陽書翰です。
写真はそこそこ掠れていますが、字の形は見て取れます。
けれども納得のいくほど読めませんでした。
読めないところであっても、あるいは合っているかもしれないと思い、見えたまゝの字を書き込みました(本当はこんなことをしてはいけません)。
やはり漢詩に用いられる文字は知識浅く、ほとんど分りませんでした。
悔しいですが、突如として読めるようになるはずもなく、地道に力をつけるほかありません。
それでは答へ。
「愔々」、半ば賭けでした。普通使われない字とはいえ、山陽先生ならば使うかと。
「無聊の處忽接芳翰」画像、この読みを見たとき痺れました、あゝそうだそうだと。
「冠冕」、一目「洗心洞箚記」の「箚」字と見えてしまい。
「搖筆贊評」、「揺」に思い至らず迂闊。
「贊」、はかなり特殊で知りませんでした。
「快心洞目」画像、山陽先生の書翰はあらゆるところに古語あり、「快心泪目」などゝ読んでは失笑ものです。
「可以死矣」画像、これは最後まで候補にあった読み筋です。あさはかにも捨てゝしまいました。
「が、僕生無兄弟」、この「が」と読ませるところ難し。
「不啻同胞」画像、「啻」字は塗抹のようにも見え悩みて誤り。
「辱知己の言」、「辱」字画像今後注意を要します[後々調べてみると「辱」字上の點は所謂引筆點、草體に書くとき便利とのこと]。
「一別」→「一謝」、「追々」→「近々」、と誤って読む。
猶々
「出来」画像、「書丹」と深読みして誤り。
「天倫人事」、「天任人事」と読み失敗。
「未嘗」画像、これは読めねばならず。
「見度もの也」、「もの」はどう見ても一字のところ、難しいですね。
残す漢詩部は取り上るほど読めておらず。
山陽翁の書翰は、読めば読むほど知らない字が出てくるので実に勉強になります。
解説を読み感動しました、掲げて置きます。
解説
『頼山陽書翰集』徳富猪一郎.木崎愛吉.光吉元次郎編