古文書探訪-2


『南郭服元喬書柬』筆者蔵

改歳に書を辱ふし.先つ以て御平安に御迎年成され目出度存し奉り候.不佞恙無く加年致し候.且つ又去る卯十月より御病氣弥御困篤の様子承知致し.扨々御難義の次第推察致し候.誠に危殆の事に候所御復本.今程御堅固に御勤め成され千万目出度大慶致し候.
御労役の餘.御著述等暫く御停め.御自愛専一の御事に御座候.是よりも彼是御無沙汰に打ち過き候て本意ならす候.先達て青墨相達し候由.御礼仰せ下され痛み入り愧汗に堪へす候.甚た悪しき青墨にて御用に立ち申す間敷候.且つ又去る年御頼み候四家[四家雋歟]の残り.餘り延引に罷り成り當春も甚た催促仕遣し候.何とそ三月中の便迄に残らす出来せしめ.進し申し度候得共.常に是くの如くならす.夫れ過き候共.好便に遣し申すへく候.堅く約束申し遣し候得共.疎懶なる書生の常態.延引に及はゝ尚後音を期し候.恐惶頓首.
猶々.諸子恙無く候.毎々御噂申し上け候.且つ又市川生も毎々御傳語を仰せ下され相達し忝く存し奉り候.已上.

湯浅元禎は南郭翁の門下。『常山紀談』の著者として知られています。
数度病い篤くして、退役を藩に願うも免されず、養生の後ち再び出仕して藩職を担っていました。
南郭翁に入門したのは享保十七年のこと、基本的に在国の士ですが、御用によって出府したとき南郭翁に面会していました。

こゝに掲げた書柬は延享五年、南郭翁六十六歳の筆と推定されるも、この頃に湯浅元禎が病いに罹ったという記録を見ず、よほどの病状(御病氣弥御困篤、誠に危殆の事)にも関わらず記録に上らなかった點(たとえば宝暦四年・明和四年を記録に見る)に後考の餘地あり、或いは極めて短い日数で本復したものかとも考えられます。


この字は再考の餘地あり。取り敢えず「不常に如是」として置きました。